Che FUJIWARA ゲリラ戦記

Che FUJIWARAの日記 ツイートするには長い文章、TLに流すにはふさわしくない文章をここに供養します

「JOKER」感想(ネタバレ度:小)

話題作『JOKER』を観てきました

何やら最近話題になっている『JOKER』という映画、さすがにこれだけ「衝撃」やら「アカデミー賞確実」やら言われると気になってきたので、実家に帰ったタイミングで少し時間ができたので観てきました。ポスターやCMで見た感じもなかなかいいセンスしてそうだったからちょっと期待してたし、グロいやら重いやらそういう評判を聞いてて怖いもの見たさもあったので、どんなもんかなと。

結論から言うと「普通に面白い」です。前評判とは裏腹に、そんなに重くもなかったし(例えばタランティーノ作品や北野武作品などと比べて)グロくもなかった、メッセージもなかった。純粋にサスペンスとして、エンターテイメントとして楽しめました。特に衝撃は受けなかったけど、見せ方はうまいというか緊張感があったし、笑いがあるわけでもないのにずっと見られたのはすごいなと思いました。日本人だからかもしれないけど、撃たなくても拳銃持ってるだけでハラハラする(むしろ殺害シーンはあっさりめで、ああこの程度か、と安心すらする)。ちなみに隣に父と母もいたんだけど、俺と同様に「普通に楽しめた」ようでした。まあ多少ビックリはしてたと思うけど。

深く読み取る必要はない

監督はこの作品のことを「政治的な映画では全くない」と言っていたらしいけど(ソース→https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/10/post-13111.php)、これは本当にそうだと思う。メッセージなんかないし、特に誰を糾弾したいわけでもなく、社会問題を提起したわけでもなく、ただただちょっとハラハラするテーマのエンターテイメント映画。奇しくも「覆面禁止法」が成立して暴動の起きている香港の情勢と本作の描写がかぶってしまうけど、この映画を撮影した(おそらく半年〜1年前?詳しくは知らないですすみません)にはこの状況は予想できていないだろうし、たまたま。踏まえているとすればアメリカの状況だろうけど、前掲のNewsweekの記事から引用すると、

『ジョーカー』は政治的な主張をしたいというより、かなりご都合主義的に政治を取り扱っている面がある。道化師の仮面を着け、「金持ちを殺せ」といったプラカードを掲げてデモ行進する人々(ほとんどは白人男だ)の描写には、オルト・ライトの集会を連想させる要素と、左派のアンチファ(反ファシスト勢力)の集会を思わせる要素を意図的に混在させている。

というように、あんまり意図はないというか、政治的な現象(暴動)を取り扱っているとは言え、傍観者的に、ただ「怒る人々」を登場させているというような感じ。その点ではシン・ゴジラにおける国会前デモの描き方に似てるけど、シンゴジの方がややシニカルで、デモに参加する人々への感情移入はない(くだらない反対行動をやっている国民たち、という風に描いている)。JOKERのデモ隊・暴徒には、反対する相手(富裕層など)もいれば道理も一応描かれているし、セリフもいくつか与えられている(JOKERのことをヒーローと呼んだりする)。しかし先ほどの引用にもあったように、それはただの「暴徒」で、オルタナ右翼のようでもありアンティファのようでもあり、どちらの要素も満たしている。建前は貧富の格差など社会に対するプロテストだが、ほとんど白人で占められている暴徒たちはKKKの隊列に見えなくもない。平たく言って、このデモ隊は(主義のためであれ暴力には反対だ、とかいう)主張のために登場させられたのではなく、単に『JOKER』を盛り上げるために登場させた応援者でしかない。

一応鑑賞後にスマホで検索して感想や解説やらを見たけど、無理に深読みしようとしてる感があって健気に思えてしまった。いやいやそんなメッセージないよ…(笑)。前回のアカデミー賞ノミネート作と比べてみたらいい。『バイス』はチェイニー副大統領を批判し、『ブラック・クランズマン』はトランプおよび白人至上主義者を批判し、『グリーンブック』や『ブラックパンサー』や『ビールストリートの恋人たち』でも黒人差別問題を批判的な姿勢で描いている。でもJOKERを見て、「正義のための暴力の是非」とか「貧富の格差と分断を突きつけられた」とか、そういう感想は持たないでいい。そこに焦点は当ててないし、そういうテーマの作品なら他にもあるだろう(スパイク・リー作『ドゥ・ザ・ライト・シング』なんかのほうが考えさせられる)。『JOKER』の主人公はJOKERであって、彼の感情や環境や背景を描くことによって彼の物語を楽しめればいいのであって、メッセージ性などないし、読み取る必要はない。監督もそれを望んでいないだろう。

「間」「余白」がちゃんと残されていた

最近の映画は2時間の中に内容を詰め込もうとしすぎて、動きも話も展開も早すぎるものが多い印象だったが(乏しい映画体験の中からいくつか例を挙げると、『スターウォーズ』の最新作や『ズートピア』など)、今作は間がたっぷり活かされていたし、ひとつひとつのシーンも比較的ゆったりしていた。この映画の「怖さ」を最大限引き出せていたと思う。後から考えれば人も1桁くらいしか死んでないし、殺害シーンも「普通の射殺」「普通の刺殺」といったところで特別グロテスクなわけでもない。それでも終始緊張感が漂っていたのは、不気味な主人公のゆったりした動きや、「何も起こらないシーン(ただの移動など)」などが効果的に使われていたからだろう。あと音楽もよかった。

北野武は撮影中に「青空」とか「風に揺れる花」とかを一応撮っておいて、間を取りたいところでそういう映像を挿入すると言っていたけど、そういう意味のなさ、休憩、生産性のない時間、というものの価値が最近は見失われているような気がしていて(これは映画に限った話ではないけど)、久しぶりに自然に呼吸できる映画が観られたなという感じ。そういう意味ではただの娯楽映画ではなくて、ちゃんと作品の価値を追求していて好感を持てた。

おわりに

ダルくなってきたのでここらへんで終わりにするけど、JOKERは以上のように、「メッセージ性があるようでない、本格派エンターテイメントサスペンスの秀作」、といったところでしょうか。悪くはないけど正直口コミが持ち上げすぎな感じはした。エンターテイメントとして、映画としてよくできてはいるけど、社会に問題提起をするような作品ではない。アメリカで警備が厳しいのも、最も大きな理由は以前起きたような銃乱射事件を防ぐためであって、そこまで衝撃的で人を動かす作品ではないと思う。ジャズで言うと、音楽で抗議したマックス・ローチチャールズ・ミンガスではなく、純粋に音を追求したマイルス・デイヴィスに近いかな。娯楽性・芸術性のみを追求するものと、社会的な背景や主張を持ったもの、という尺度は、映画に限らずあらゆる「作品」について考えられるもので、個人的にもこの頃よく考えている問題なので、また違う話題の時にも書いてみたい。あいちトリエンナーレの騒動もあったことだし。